プロレスが好きな3つめの理由

これが奇蹟だと、きっと一番驚いているのは私だ。

 

どうしてあなたはプロレスが好きなの?と聞かれて、真っ先に私が口にする二つの理由があった。

プロレスは、ミックスドマッチがあるから。

プロレスは、グローバルだから。

そして、デビューからの自分の道行きを振り返って、私が夢中になっていた2つの理由は、ほとんど初めから私と共にあった。

 

たくさんの男性レスラーと戦った。同時にデビューした他の5人の誰よりもきっと、私は男子とシングルマッチをやっている気がする。そのたびに私は自分の不十分さを感じるけれど、私のことを女性レスラーからだという理由で侮る人は誰もいなかった。私はただ、私だからという理由で負けていた。力がないのも、動きが鈍いのも、私だからだ。その「私だから」の中には、私が女性であるということも含まれているけど、それは私のすべてではない。悔しいことではあるけれど、でもそれは、私が憧れていたプロレスの姿そのものだった。私は私のままで、自分自身のすべてを使って、立ち向かっていくことができる。

デビュー3ヶ月目で、私はイギリスで試合をする機会に恵まれた。それはいくつかの、いくつもの偶然が重なって起きた出来事だったけれど、海外のプロレスファンが私を見つけてくれて、応援してくれたからこそ、その驚くべき出来事は現実になった。私はイギリスの地で私を応援してくれている人に出会い、彼らはペンシルアーミーを名乗ってくれて、それは私のレスラーとしてのアイデンティティの最も大きい部分を担っている。

そして今、私はチョコプロにいる。

チョコプロは日本の市ヶ谷から発信している団体だけど、その会場は世界だ。チャット欄には日本語よりも多くの英語が飛び交って、私達の試合を通じて、新しいコミュニケーションが、見ている人のいる場所に関係なく生まれ続けている。そこで私はいろんな人と試合をすることができている。国籍も性別も関係ない、とは言わない。それらもまた、その人の、レスラーとしての存在の一部だから。どの選手も、自分が生きてきた道のりを愛し、時には苦いものを感じながら、でも、一つの場所でつかの間の、でも決定的に人生に変えるような時を過ごしている。自分のままでいながら、他人とぶつかり、自分の形を変えていく。そこには、私が強固に抱いていた2つの理由のさらにその先のいろいろな感情や論理が溢れていて、私は途方に暮れさえする。

 

これほどまでに私は与えられていいのかといつも、私は驚きに震える。

「私はこれが好きだ」「なぜならこういう理由だからだ」。私が抱いてきた言葉はそのまま、私の在り方として今の私を支えている。それは別に、私が正しかったとかそういうわけではない。私は初めから間違っているかもしれないし、私はプロレスラーにふさわしくないのかもしれない。

でも、私が実現したい在り方を、プロレスという場が、チョコプロという環境が許容し、実現させてくれた。私と違うものをプロレスに見ている人もいて、きっとその在り方も現実になっている。でも、私は間違いなく、私の信じたものの中にいる。私の信じたものを現実にするために、許されている。そして、それ以上のものを見つけさせてくれている。

 

いま、だから私は、プロレスが好きな3つめの理由をきっと、見つけたのだろうと思う。

プロレスは、求めた以上に、見つけることができるから。

 

短い月日を振り返る。私はまだまだ未熟だ。未熟を名乗るのさえおこがましいほどに。だけど私は誰よりも、奇蹟を生きている。

私は、誰かに何かメッセージを伝えることなんてできない。元気を与えるとか笑顔になってもらうとか、そういう言い方をするには、私はちょっと利己的すぎる。

ただ、私が唯一、自分の意思で証明できて、ほかの誰かに示せることがあるとすれば。

私にも証明できる、ただそれだけは、言える。私にできるなら、私を見ている人達にもそれが可能なはずだ。愛するものを見つけて、その理由を探して、自分自身でその論理を証明する。さらにその先に、思いもよらない答えを見つける。それができるんだ。

 

楽しいね。楽しいんだよ、プロレスって。