鈴木インシデントの必然:鈴木みのるインタビュー

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鈴木みのるの渡米は、ひとつの現象だった。

私がこのブログで伝えたいことのひとつに、プロレスは必ずしも言語を越えない、という実感がある。日本のプロレスは世界で求められていて、だからこそさくらえみはAEWに招聘されたのだという期待は日本語での反応の数々からうかがい知ることはできるものの、必ずしもそれは真実ではなく、だからこそさくらの挑戦を私はスリリングに感じている。日本のプロレスはすごい、その前提を証明するためだけに動いていたらきっと、大事なものを見落としてしまう。それは私の本意ではない。ここで新しいやり方を見つけ、もう一度何者かになることこそ、さくらえみの目指すものだと。それは例外なく、日本のレスラーが誰しもが直面する壁と冒険であるに違いないと。

しかし早速その例外に出会ってしまった。それが、鈴木みのるだった。

シカゴで小島聡と戦った直後のジョン・モクスリーの前に、彼のアイコニックな入場曲『風になれ』とともに鈴木は現れ、モクスリーの出身地であるシンシナティでの対戦が実現した。そして、シンシナティである事件が起こる。

「SuzukiIncident」である。

鈴木みのるの入場においてほとんどすべての観客が熱望するサビの合唱部分、「風になれ」がシンシナティにおいては流れずに、会場にいる観客のみならず、テレビを、そしてインターネットストリーミングを見ていた人々の不満が爆発した。濁流のようにタイムラインに流れる声はTwitterのトレンドとして顕在化し、「♯SuzukiIncident」としてその現象は人々に認識された。鈴木みのるは、到着しておよそ二週間でひとつの事件としてアメリカのひとびとの、おそらくプロレスを普段は見ないような人たちの目の前にも、現れた。

鈴木みのるがチョコプロの第一回大会に出場したという縁、そして我闘雲舞に所属している私の同期のレスラー・沙也加が彼のアパレルショップ「パイルドライバー」に勤務しているという関係もあり、彼がAEWに姿を現すタイミングで折を見て、私とさくらは彼に話を聞く機会を持つことができた。というか、同じ会場にいたので勝手に話を聞きに行った。

沙也加から、鈴木の普段の姿を聞くことも多い。彼が取材に対してどのように応対するかを、沙也加は事前に、ライターとしての私に教えてくれた。彼女から聞いた鈴木みのるは、上司としての優しさを持ってはいるが、手ぶらでやってきたマスメディアにはとても厳しい。「ファンはどう思っていると思いますか?」という質問に、彼は不機嫌になったと沙也加は言った。

「うるせえな」「客がどう考えるかとかファンがどう思うかとか、知らねえよ」

日本とアメリカのファンの違いについて質問した私にも、鈴木みのるはそう答えた。その口調は静かな苛立ちを感じさせるもので、私は背中に冷やりとしたものを感じた。

「どこに行こうが俺のやることは変わらない」と鈴木は断言する。「強いか弱いか、それだけだろ」と。そして同時に、「客に合わせるなんてこともしねえよ」と、さくらの悩みを一蹴する。「客の見たいものを見せたって、そんなのつまんねえだろ。想像もしてねえことが起こるからおもしれえんだよ」

今回のAEWの出場に関しても、彼はこう答えた。「呼ばれたから来ただけ」「いつも通りに相手を殴ればいい」

今になって思い返してみれば、全くその通りだった。

モクスリーとの試合でも、ニューヨークでランス・アーチャーと組んだタッグマッチでも、そこにいるのはいつも通りの鈴木みのるだった。エルボーを食らってにやりと舌を出し、思い切り肘を相手の首元に打ち込み返す。

彼がどうして今回のような現象を起こすことができたのか、今ならわかる。

そもそも今回の鈴木の渡米は、キャリア30年を越える世界的レスラーの遠征と考えると、かなりイレギュラーなものだ。団体所属のレスラーで、団体を通して招聘されるレスラーならばおそらく、試合以外のこまごまとしたやり取りや移動に煩わされる心配はない。

だが、鈴木みのるはたったひとりでアメリカを、二か月間サーキットする。西も東も関係なく、縦横無尽に、彼に出てほしい団体に姿を現すために旅をする。

その決断はあくまで軽やかだが、すべてのレスラーが同じような選択をできるかと言えばそうではない。もちろん、アメリカでどこの団体からもぜひ出てほしいと言われるほどのレスラーである、という鈴木みのるの人気が重要なのももちろんだが、単身渡米し、全米中をひとりで周る二か月を、リアリティを持って想像し、それを実行に移せるかどうかということを考えれば、それが誰にでもできることではないというのがわかる。今回の出来事はすべて、鈴木みのるがたったひとりで引き寄せたものだ。

ニューヨーク大会当日の会場のカフェテラスで、私は鈴木みのるとずいぶんと話し込んでいたように思う。話し込んでいるあいだも、何人ものAEW所属選手たちが彼に握手を求めに来た。時に気さくに時に私を脅しつつ話をする鈴木みのるは、話の合間にずいぶんと、プロレスについて私に教えてくれた。

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「国によってやり方を変える必要なんかねえよ。俺よりスパーリングやってる奴なんていねえだろ。ゴッチさんのところで練習してた時に、何もねえ平原で、通り沿いに柱が立っていて、柱の傍を通るたびに腕立てしろって言われてさ。どうせゴッチさんは見てねえだろって思って、サボろうとしたんだけどよ。とお~~~くから見てんだよ。だからサボれなくてよ」「今まで俺に弟子入りしたいって奴も何人もいたよ。だからそういう奴には、わかった、じゃあここで30分間首ブリッジしてろって言うんだけど、誰もやんねえよ。でも、それをやんなきゃ強くならねえんだよ。最近だと、それでも俺の言うとおりにやり続けてた奴はエル・デスペラードくらいかな」

SuzukiIncidentなんて、彼にはあってもなくてもどうでもいいことなのだ。彼の周囲で起こることはあくまで二次的なことで、その中心には自分自身の強さを一筋の曇りもなく信じられる根拠がある。

プロレスは国境を越え、言語を越えるか? 私には、イエスと言うことはできない。そんなに単純であればどんなにいいだろうと思うが、まったくもって、それは事実ではない。その壁にぶつかって、多くのレスラーがきっと大いに悩んでいる。

ただし、鈴木みのるに関しては、それは違う。鈴木みのるは国を越えて言語を越えてそれでもなお鈴木みのるか? 間違いなく、「イエス」だ。それを可能にした要因は、必ずしもプロレスにあるわけではない。この現象は、鈴木みのる鈴木みのるだから成し得ることだ。

ただ、そういう人のありようを、渡米してすぐに見ることができたのは幸運だった。世界は広い。世界の広さを教えてくれたのは、アメリカで出会った鈴木みのるだった。