おとぎ話と現実の断層

物語はずっと私とともにあった。ここでいう物語とは、漫画やアニメやゲームといったいわゆるフィクションだけじゃなくて、人を愛することは素敵なことだとか、夢を追うことは意味のあることだとか、私たちの行動一つ一つに意味を与えるものの総称、私達が現実を説明するときに用いる論理のことも含まれる。

だけど、ときに現実と物語の境界を、ひとは恣意的に動かす。昨日まで正義について語っていた人が自分の行動だけは例外にしてみたりとか、そういうことだ。その動かし方はビックリするくらい都合がよくて、私はけっこう戸惑う。そういうことをする人たちを非難したいんじゃなくて、私自身もそういう振る舞いをしているのだと気づくから。

そしていつしか、「現実を見ろ」とか、「甘いことを言うな」とか言われたときに、何も言い返せなくなる。それが大人になることだ、と言う人もいるだろう。現実とはつまり、強いものは価値があり、勝者はすべてを手に入れ、泣いているよりは笑った方がいい、そういう場所であると、納得していく。

 

私にとってはその断層、物語を信じる自分と物語を裏切る自分、そしてそれを一種の成長だと断じる世界、がひどく苦痛で、体が動かせないくらいに、ベッドから這い出せないくらいに、落ち込みもした。強いものを強いと認識するためには弱いものが必要で、勝者は常に敗者を必要とし、悲しいことを悲しいままにしておくことは許されない。そういう現実を、物語は追認しているように思えた。今ここで泣いていて弱い私は、そのままでは存在してはいけないのではとすら思った。

あんなにみんな、物語を愛しているふりをして、物語に救われたとかなんとか言っているくせに、結局何一つ信じていないんじゃないかって。非難するだけだったらよかったけど、私もその一部なんだって。みんな、誰かが傷ついた話には感情移入して泣いてみせるけど、次の瞬間には踵を返して誰かを傷つける言葉を簡単に吐く。自分だけは加害者だって思わないために必要なのが、物語なんじゃないかとすら思う。その残酷さは、どんな現実よりも私を打ちのめす。

そして、そんなふうに打ちのめされていた時に、私はプロレスを見た。そこには敗北も弱さも涙もあって、だから私はベッドから這い出して、もう一度、私は物語を愛することに決めた。信じることに決めた。

 

私は今、プロレスラーをやっている。スポーツ歴のない、フリーランスライターで、162センチ45キロ。私がレスラーとして試合をして戦っていることを、クリス・ブルックスはおとぎ話だと言った。私はレスラーなんかではなく、周りの人達が私をレスラーとして扱ってくれるだけにすぎないと。でも、それを言うなら、私にとってはクリスもおとぎ話の一部だ。試合に臨む前、その瞬間に、私は自分が、その場所に立つ人間としてふさわしくないと誰に思われていようと、ひとりの対戦相手として、196センチメートルの男性の、対等な対戦相手として、私はそこに存在することができる。それだけはクリスも否定できないだろう。それこそが、プロレスが与えてくれた希望そのものだ。どれほど違っても、そこには私が胸を張って生きる資格がある。世界は平等じゃない、とリアリストぶる人が私に告げたとしても、その言葉は私には届かない。私達が平等じゃないことなんて最初から知っている。でも、平等だと思って、それを信じて振る舞うから、一緒に生きていけるのだ。戦って、立ち向かう資格は、誰にだってあると、少なくとも信じていいんだと。

それは社会を運営するための建前にすぎないかもしれないけど、その建前すらないようにふるまうことを許容したら、誰もかれもが信じられなくて、誰かが自分を傷つけるのではないかと恐れて人は暮らすことになる。

 

リングの上では、私はわかったような言い方はしたくない、現実の厳しさの境界線を都合よくあっちへこっちへ移動したりしたくない。現実は厳しいというのが、たとえ真実だとしても。

私は信じている。私が読み、見て、感じている物語たちは決して虚構などではなく現実そのもので、それはときに私達をひどく傷つけるけれど、でも、その物語を信じるからこそ、生まれた場所も違えば考え方も違う私達は一緒にいることができる。

わかりあえない私とあなたが同じ場所にいる。傷つけあうためではなく、私をわかってもらうため。そのためには、私はあなたのこともきっとわからなければいけないのだろう。

 

たとえ私が間違っていたとしても、私が自分の境界線を動かさなかったことには意味がある。私が信じていることがおとぎ話だとしたら、それをおとぎ話だと笑えてしまう現実の方が間違っている。物語はいつだって現実を変える。それぞれが抱える物語が、世界に立ち向かう力になって根拠になって、不変だと思われていたものたちを変えていく。

私にはそれができる。たとえ弱くても、泣きじゃくりながらでも。

そういう物語を、おとぎ話を、私は紡ぐ。